サカモトハルキの哲学

北海道で5棟74室+月極P24台の大家やってます。2010年12月より法人化(10期目に突入!)。奥さんと中2小5男子と猫と自由にのんびり暮らしてま〜す!

敗者復活ができないような社会を変えないかぎり、悲劇はくりかえされる・・・

「敗者復活」がなかなかできない社会や企業 という記事を読んだよ。

 

 

news.allabout.co.jp

 

今の日本には『目に見えない枠』みたいなものがあって、そこからこぼれ落ちないことが何よりも重要と考えてる人が多いような気がする。

 

そうすると当然、「ポジション取り」のことしか頭にないばかりが増える。

だってこぼれ落ちたら最後、這い上がれない、敗者復活ができないんだもの・・・

 

 

秋葉原の加藤も、相模原の植松も、自分の容姿や現在のポジションを憂いていたらしい。

モテない自分、年収、職業、学歴、恋愛、将来すべてに『絶望』していたんだと思う。

「がんばっても、逆転サヨナラ満塁ホームランを打てない」という絶望感・・・

 

社会に蔓延するこの閉塞感を軽く見ないほうがいい。

 

 

加藤にも、植松にも、『反抗期』というものがなかったという話もある。

反抗期というのは、人間形成においてすごく重要。

それは肥大した自己愛や万能感や全能感を沈める効果があると言われている。

 

つまり、「親父も大したことない、ちっぽけな人間なんだな」ということを反抗期を通じて学習することによって、社会に出てからも「オレはすごい人間なんだ」「オレには無限の可能性があるんだ」「オレはなんでもできるんだ」という過剰な思考を沈める効果があると言われている。

 

それってものすごく重要なことだよね。

 

自己愛や万能感や全能感って、一歩間違えたらすごく怖いよね。

ポジティブに作用すれば、夢の実現を手助けしたりするパワーになる。

 

だけど、ネガティブに作用すれば社会と折り合いがつけられなくなる。

その結果、あるひとは引きこもったり、あるひとは他者に対して攻撃したりするようになる・・・

 

また、「オレはすごいんだ」という想いは、現実の世界でこぼれ落ちたときに一気に自己嫌悪に反転する恐れもあるよね。

だって、「オレはすごいんだ」の反対って、「オレはダメな人間なんだ」だからね。

 

本当はそんなにすごい人間もいない。

その代わり、そんなにダメな人間もいない。

だから、みんなで力を合わせていこう!って社会にならなきゃいけないよね。

 

それなのに今の社会は、「目に見えないある一定の枠」みたいなものがあって、そこからこぼれ落ちないことがすべて・・・みたいになりつつある。

その枠の中にいる人はいいさ。

でも、そこからこぼれ落ちた人はどうなる?

 

絶望するか、ルサンチマンを抱くしかなくなるじゃないか。。。

 

僕は秋葉原の加藤の事件も、相模原の植松の事件も、宅間守の事件も、オウム真理教の事件も、根底の部分ではみんなつながっていると思ってるよ。

 

それは僕たちとも無縁の出来事じゃない。

もっと言えば、常に僕たちのすぐとなりにある問題だと思ってる。